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人間がポストをつくったという説と、ポストが人間をつくったという説とがあるが、正しいのはどっちなのか、それを知っているのは自動販売機だけである、という説がある。
富士そばの歴史をたどると、その起源は宇宙誕生の瞬間にまで遡ると言われています。
それより前の歴史のことは誰も知らないので、宇宙が誕生するよりもっと前から富士そばはあったという説と、ビックバンの衝撃で富士そばの一号店ができたという説とに、意見は分かれます。

僕としては、もともと富士そばだけがあって、それを際立たせるための脇役として、あとから宇宙が生まれたと考える方が自然だと思ってます。

仕事が忙しいときなんかは昼食を富士そばで済ますということがありますが、ですからわたしたちは、忙しいから富士そばで済ませているのではなく、富士そばに済まされるために忙しくさせられているのではないでしょうか。
人間と人間との間にいるのが、間人です。ゲンニンと読みます。

ゲンニンは、人間と人間の間にしか存在しないので、例えば三人の人間の間には二人のゲンニンが、百人の人間の間には九十九人のゲンニンがいるはずです。

ところが、場合によっては、三人の人間の間に三人のゲンニンが、百人の人間の間に百人のゲンニンがいるケースがあるということを、私は発見してしまったのです。
図解してみましょう。

▼ 通常、三人の人間の間には、






▼ 二人のゲンニンがいます。






▼ ところがこのような場合、






▼ ゲンニンが一人増えて、三人に!






さらに、ゲンニンとゲンニンの間にいる、間ゲンニン(アイダゲンニンと読む)についても、同様のことが言えそうなのです。

▼ 三人の間人の間には、






▼ アイダゲンニンがなんと三人!

昔々、人類がまだ塩だった頃、人類にとってもっとも脅威だったのは、シオナメでした。シオナメは塩を好んで舐めたがる夜行性の動物で、夜になると山から里へ降りてきて、里の人間たちを片っ端から舐めまわしたものでした。

その頃の人間達はまだ塩だったので、文字通り手も足も出すことができず、なすすべなくただ一方的に舐められるしかありませんでした。「ちくしょう、シオナメめ、今に見てろよ」と言うことすら塩なのでできなかったし思うことすらありませんでした。なぜなら彼らはその頃まだ塩だったからです。

そのようにシオナメに脅かされつつ生きてきた歴史があって、その後明治維新を経てようやく人類は、今の人間の姿になったと言われています。一方シオナメは、長い時間をかけて少しずつアリクイになっていきました。

今日、動物園の檻や柵の中にはアリクイが閉じ込めてることがしばしばありますが、それは、人類の歴史そのものであるシオナメに対する「復讐劇」が、ひとまずここに完結したことを示す象徴的な状況だといえます。人間は、シオナメを克服し超越したのです。

しかし物語りはまだ終わったわけではありません。アリクイになったシオナメは、近い未来シルスイに変貌し、一方で、人類補管計画を経て汁になってしまった人間達を、吸い尽くすことになるのですから。
「こいぬ」 は犬の子で、 「こねこ」 は猫の子で、
「こぐま」 は熊の子で、 「こじか」 は鹿の子です。

それじゃあ、 「こども」 は何の子でしょうか?

それはもちろん、モグラの子です!


犬と猫の合計数というのはもともと決まっていて、常に変わりませんが、そのうちの何匹が犬で、何匹が猫かという比率は、その時々で異なります。「犬:猫」の比率が、「4:6」のときもあれば、「3:7」 のときもあります。

その比率はそのまま、人間の集合意識の状態を表わすバロメーターになっています。人類が全体としてアグレッシブになっている時は犬の数が増えますし、保守的な傾向が強まると猫の数が増えます。

第二次世界大戦中などは犬の数が一気に増えて、犬と猫の割合が「10:0」になったといいますし、また、9.11以降現在に至るまで、猫の比率が増加傾向にあるのは、近所に野良犬の姿をあまり見かけなくなったことからも、明白でしょう。

どちらにしてもバランスが大切で、どちらか一方に極端に偏ってしまうのは良くない傾向だと思います。犬と猫は「5:5」、狸と狐も「5:5」、めがねとコンタクトレンズも「5:5」の状態が望ましいのではないでしょうか。