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子供がケータイを持ち、蕎麦屋が魔人を飼う時代がやってきました。

(清澄白河駅の付近の蕎麦屋で撮影)
わかってたつもりだったのに、実は何もわかってなかったってことが、よくあると思います。彼氏のこと、彼女のこと、全部わかったうえで結婚したつもりだったのに、毎日をともに過ごして数年たってはじめて、実はそれが錯覚だったと気付く。全然違う人だったとがっかりする。そういったことがあるかと思います。

犬も同じです。犬にも同じトリックが仕掛けられているのです。僕らは、犬ってものが何なのか、勝手にわかったつもりになってますが、実はわかっていません。

犬っていうのは、四本足で、体が毛で覆われてる動物で、鳴き声は「わん」。くらいのことは分かります。でも、内蔵がどういうふうに配置されてるのかとか、どういう進化を経て犬になったのかとか、2歳くらいの熊と戦ったらどっちが勝つのかとか、それは知らない。無理矢理 足にGショックを付けたら怒るのか、背中に小澤征爾を乗せたままでも走れるのか、坂本龍一にはなつくのか、それもわからない。

そうやって考えていくと、犬って何なのか、実は全然わからないということに気付きます。それどころか、犬というものが、宇宙のなかの地球という星のある特定の環境の上にあってはじめて成立する存在である限り、犬が犬であり得る環境の全てを、地球の全てを、宇宙の全てを、丸ごと完全に理解できていなければ、犬を知っていることにはならないのです。

四本足の、「わん」と鳴くあれが、犬であることを証明するためには、宇宙が宇宙であることをまず証明する必要があるのではないでしょうか。

実家で飼っている柴犬の「なつ」は、僕が中学生だった頃に、僕の家にやってきました。割とおとなしい性格の雌の犬で、卵が好きで、黄身だけ食べて残した目玉焼きの白身部分を僕は毎朝なつにあげていました。最近ではすっかり年老いてしまって、まともに歩くことさえできないらしく、もう長くはないだろうと母親は言ってました。ゴールデンウィーク中に一日くらい実家に帰って、長年連れ添った愛犬に会っておきたいと思う。ただアレがほんとうに犬なのかどうかは、分かりませんが。
映画 『 Earth 』 を観ました。

その感想をひと言でいうなら、「台形だった。」ということに尽きます。

同シリーズの前作 『 WhitePlanet 』 および前々作 『 DeepBlue 』 は、一部では話題になったものの、実際に行ってみれば、映画館はガラガラでした。環境問題への意識が、当時は今ほど広く共有されていなかったからだと思います。

その意味で、今回はタイミング的にバッチリでした。いまやエコとかCO2削減とか、そういうワードを一度も目や耳にしないという日はありません。650人入れる映画館で、一時間以上前にチケットを買ったけど、既に残り席わずかという盛況ぶりでした。

でもそのせいで、最前列の一番端の席に座らさせられました。

今までそんな売れ残りの席で映画を観たことがなかったので知らなかったのですが、最前列の一番端から見ると、スクリーンが台形に見える。さらに画面が近すぎて、何の、どの部分が写されているのかすらよく分からない。

結局、台形のなかにいる何かを、何なのかよくわからないまま眺めているうちに、上映終了となりました。

TOHOシネマズは、もうちょっと客目線で考えるべきなんじゃないでしょうか。何かわからなくてもいいから、せめて長方形のスクリーンで観たかった。

冬はほぼ毎日1個、すごいでかい鼻糞がとれます。思いっきり鼻をかんだ時にスポーン!って出てくるんですが、その時の爽快感がすごい。充実感、充足感みたいなものも感じます。

僕は最近、これを、神様からのギフトなんじゃないかと考えるようになりました。寒い中一日がんばって生きたことに対して、神様から与えられるご褒美が、鼻から出てくるんだと。

この「鼻糞=ご褒美」論 をさらに展開させると、鼻糞の他にも、我々が神からギフトを日常的に賜っている可能性に気付きます。そうしてはじめて、よく言われる「神に感謝して生きる」という言葉の意味が、実感を伴って理解できるようになった気がします。