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YMOっていうと、どうしても細野晴臣と坂本龍一が取りざたされるばっかりで、高橋幸宏はなめられがちだと思うんだけど、それってよく考えてみたらしようがないことで、坂本龍一は15回、細野晴臣にいたっては既に20回も生まれ変わってて、転生の度に魂のレベルが上がってるわけだから、そりゃあ高いとこにいて当然というか。一方高橋幸宏はどうかというと、まだ2回しか生まれ変わってない。それってすごくないですか?たった2回の輪廻で20回の細野と15回の教授と同じステージに立ってるんですよ?輪廻1回につきどんだけ成長してるんだっていう。伸び率がハンパない。 この勢いでいくと来世で細野越えて、来来世には仏陀越えちゃうんじゃないかな。幸宏すげー。


結局、YMOっていう存在は、高橋幸宏がネクストレベルに達するために宇宙が用意した装置に過ぎなかった、それが僕の見解ですね。
夜のことを一番最初に 「ヨル」 って呼び始めた人の感受性とか表現力がすごいし、それに共感して夜を 「ヨル」って呼ぶことに賛同した周りの人たちの感覚も、超すごいんじゃないかってふと思った。ヨルって。
「ヨ」ではじまって「ル」で終わる。よく考えたらめちゃくちゃ怖い。

でも 「あさ」 は 「あさ」 で、逆の意味でイっちゃってる感があって少し怖い。なんかもうぜんぶ無くなっちゃって、空っぽの状態で、ちょっとバカっぽいくらいなんだけど、空っぽの中心から何か神様的なものの頭が見え隠れしてる感じというか。
たぶん、すごいドジな美少女が最初に言い始めたんじゃないかな。「あさ」って。

そういう意味では 「ひる」 が一番ノーマルかもしれない。「ひる」 って言い始めた人はとても健康な魂の持ち主だと思う。同様に、「おっぱい」 という言葉を考えた人も、まっすぐで心の綺麗な人だったんじゃないだろうか。

もしかしたら 「ひる」 の人と 「おっぱい」 の人は、同じ人かもしれないぞ。

 そのまんま東 + MarcJacobs = そのまんまジェイコブス
すっかり春になったなあと私たちはあたり前のように思っていますが、それは四季の区別が前提にあるからです。

ハル、ナツ、アキ、フユと季節を四つに分けて認識する方法が発明される前は、人間は、季節を十個に分けて認識していました。ハル、ナツ、アキ、フユの他に、イホ、ツヌ、ヘシ、ポポ、イポポ、などがその頃はあったといいます。

それより前の時代には、さらにたくさんの季節がありました。二十個だった時もあったし、四十個だった時もありました。その頃は、上に挙げた季節のほかに、ミソ、シル、イカ、イヌ、ジェル、ジェロ、ゲボなど、様々な季節があったそうです。

しかし、それよりさらにずっとずっと昔は、時間を区切って個々別々に認識するという発想すらなかったので、季節はひとつでした。人間はそのたったひとつの季節を、カミと呼んでいました。

そしてさらにさらに昔になると、”区切る”という概念すらまだなかったので、季節に区別がないどころか、自分と他人との区別もなかったし、犬と自分との区別もなかったし、木も花も虫も空も全部がひとつで、全部が自分でした。
だからこそ人は、全てをいたわることができたし、全てに感謝することができたのです。
そして、その全てであり、たったひとつのそれを、人は”Love”と呼んだのでした。

そのように考えていくと、愛を取り戻す為にまず僕たちがしなければならないことは、犬との完全なる一体感を得ることなのかもしれません。
少しずつ抽象化していくと、ある時点を境に、
「ギターをかきならす」という行為と、「蕎麦をすする」という行為は、
全く同一のものになると、わたしは考えています。

ビジュアル的にもそうだし、
意味としても、紐が振動して音が鳴る、というところまで抽象化した時点で
同じになる。

それとは少し話しがずれるのですが、ギター蕎麦屋というのを考えました。
客が、蕎麦をすするタイミングに合わせて、
横で店員がギターをギャーンって鳴らしてくれる蕎麦屋です。
インタビュアー
「 最近、鱒(マス)を引っぱってマスか? 」

インタビューされた人
「 いやー、最近は全然引っぱってないねー。だってほら、今原油高でしょ。船の燃料価格が上がって採算が合わなくなったとかいうんで、イカもマグロも採れなくなったっていうじゃないですか。ガソリン代も高いし。その上タバコも値上がりするんだって?まいるよなー。 」

インタビュアー
「 確かに原油高ですけど。でも、だからって鱒(マス)を引っぱれないことはないですよね?」

インタビューされた人
「 あ、そうか。そうですよね。なんだ。うっかりしてた。
それじゃ、さっそく今から家に帰って、鱒(マス)を引っぱりますよ! 」

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インタビューされた人の妻
「 ちょっとあんた、何してんのよ!? 」

インタビューされた人
「 何って見りゃあ分かるだろ。鱒をひっぱってんだよ! 」

インタビューされた人の妻
「 マ、鱒をひっぱ…。やめて!あなた分かってるの?今は原油高で、船の燃料価格が上がって採算が合わなくなったとかいうんで、イカもマグロも採れなくなったっていうじゃない。ガソリン代も高いし。その上タバコも値上がりするって。大変な時代なんだから! 」

インタビューされた人
「 確かにな。でも、だからって鱒(マス)を引っぱれないことはないだろ?」

インタビューされた人の妻
「 あ、そっか。そうよね。なあんだ。うっかりしてた。
それじゃ、わたしも一緒に、鱒(マス)を引っぱりますわ! 」

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インタビューされた人の妻の娘
「 ただいまー。ってお父さん、お母さんまで、何してんの!? 」

インタビューされた人の妻
「 あら、おかえりなさい。今ね、お父さんと鱒(マス)を引っぱってたとこなのよ」

インタビューされた人の妻の娘
「 ちょっ…。もぉー、信じらんない。今は原油高で、船の燃料価格が上がって採算が合わなくなったから、イカもマグロも採れなくなってるんだよ。北極の氷だってこのままじゃ溶けて無くなっちゃうんだから! 」

インタビューされた人
「 確かにな。でも、だからって鱒(マス)を引っぱれないことはないだろ?」

インタビューされた人の妻の娘
「 あ、そっか。なあんだ。うっかりしてた。
それじゃ、あたしも一緒に、鱒(マス)を引っぱりま〜す! 」

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インタビューされた人の妻の娘が去年拾ってきた犬
「 わんわんわんわんわんわんわん!わんわんわん!」

インタビューされた人の妻の娘
「 ベスもうちょっと待っててね。今、お父さんとお母さんと、鱒(マス)を引っぱってるから」

インタビューされた人の妻の娘が去年拾ってきた犬
「 わんわんわんわんわんわんわん!わんわんわん!わんわんわんわんわんわんわん!わんわんわんわんわんわんわん!わん!わんわんわんわん!わんわん!わんわんわんわんわんわんわん!わんわんわんわん!」

インタビューされた人の妻
「 でも、だからって鱒(マス)を引っぱれないことはないのよ?」

インタビューされた人の妻の娘が去年拾ってきた犬
「 わんわんわんわんわんわんわん!
わんわんわんわんわんわんわん!わんわんわんわん!」

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警察官
「 樋口さん、困りますよ。騒がしいって苦情が…。って何やってんですか!? 」

インタビューされた人の妻
「 あらお巡りさん。何って、家族みんなで鱒(マス)を引っぱってただけですよ。」

警察官
「 勘弁してくださいよー。今は原油高で、船の燃料価格が上がって採算が合わなくなったから、イカもマグロも採れなくなってるんですよ。少年犯罪も増加傾向にありますし、ハイパーテロリズムの時代なんですよ。」

インタビューされた人の妻の娘が去年拾ってきた犬
「 わんわんわんわんわんわんわん!わんわんわんわんわん!わんわん!」

警察官
「 あ、そうか。そうですよね。なんだ。うっかりしてた。
それじゃあ本官も、鱒(マス)を引っぱりますよ!」

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被害者意識の強い人
「 お巡りさーん、こ、殺される。って、何してるんですか!? 」

警察官
「 何って。そりゃもちろん、鱒(マス)を引っぱってるんですよ 」

被害者意識の強い人
「 そんなことしてちゃダメでしょうが。今は原油高で、船の燃料価格が上がって採算が合わなくなったから、イカもマグロも採れなくなってるんですよ。神は死に、魂の拠り所はなく、閉塞感に押しつぶされそうなんです。騙され、裏切られ、監視され続けているんです。みんなが見てるんですよ。みんな、笑ってるんですよ俺のこと。愛なんてないんです。世界規模で愛が不足しているんですよ!」

インタビューされた人の妻の娘
「 でも、だからって鱒(マス)を引っぱれないことはないのよ?」

被害者意識の強い人
「 あ、そうか。目が覚めました!
俺も、俺も鱒(マス)を引っぱります!」

つづく
21世紀の終わり頃に、「餅ゴルフ」というスポーツが流行ったことがありました。
「餅ゴルフ」とは、ボールの代わりに、つきたて・熱々の餅を、クラブで打つ競技です。

父親はわたしをプロ餅ゴルファーにするための英才教育を施しましたが、私は父親に決められた人生を歩むのが嫌だったので、法学の道に進み弁護士になりました。

今でもときどき、被告人を弁護しているときに、ふと餅の感触を思い出すことがあります。
ある日、街で金を拾った。そのあと、森でも金を拾った。
そして川でも、山でも、沼でも金を拾った。

次の日、街で金を落とした。そのあと、森でも金を落とした。
そして川でも、山でも、沼でも金を落とした。

その次の日、街で金を拾った。そのあと、森でも金を拾った。
そして川でも、山でも、沼でも金を拾った。

次の日、街で金を落とした。そのあと、森でも金を落とした。
そして川でも、山でも、沼でも金を落とした。

その次の日、街で金を拾った。そのあと、森でも金を拾った。
そして川でも、山でも、沼でも金を拾った。

そしてその次の日に新政府が誕生し資本主義が終わり人類はついに貨幣を手放した。2080年のことだった。もちろん俺も、金を捨てた。

でも次の日また拾った。(でもまた捨てたけどまた拾った。)
3308年。わたしひとりを残し、人類は滅びました。なぜ滅びたのか、理由はわかりません。人類滅亡とともにあらゆる過去のデータは消失してしまいましたし、私自身もショックのためか記憶を失ってしまったからです。ただひとつだけ、奇跡的に消失をまぬがれたデータがありました。それは、人類文明がまだこの宇宙に存在していた頃の記録を残す、唯一のデータでした。それは "歌" のデータでした。その歌は、こんな歌でした。

「 きのこの山のその奥に、たけのこの里があったとさ 」

わたしはこの "歌" を手がかりに、人類滅亡前の世界がどういう世界であったのかということを解明しようと試みました。歌によれば、滅亡前の宇宙空間には、どうやら、きのこの山という山が存在していた。そしてその奥には、たけのこの里という里が存在していた。それは確かなようでした。でも、本当にそれだけだったのでしょうか。宇宙空間には本当にその2つしか存在していなかったのでしょうか。私は、"歌" には "続き" があるのではないかと考えました。たとえばこんな "続き" が。

「 きのこの山のその奥に、たけのこの里があったとさ
たけのこの里のその奥に、ザリガニの国があったとさ 」

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3368年。"歌" の研究をはじめてから60年くらいたちました。その間、何度も何度も、孤独の寂しさに泣きそうになりましたが、ガマンしました。歌の続きさえ分かれば、人類滅亡前の宇宙がどんなだったかが分かる。そしてそれさえ分かれば、あとは、それと全く同じ宇宙を造れば良いだけだからです。そうやって自分を励ましながら頑張って、そしてついに、歌が完成しました。それはこんな歌でした。

「 きのこの山のその奥に、たけのこの里があったとさ
たけのこの里のその奥に、ザリガニの国があったとさ

ザリガニの国のその奥に、消しゴムの寺があったとさ
消しゴムの寺のその奥に、ぬるぬるの丘があったとさ

ぬるぬるの丘のその奥に、抽象的な場所があったとさ
抽象的な場所のその奥に、五次元空間あったとさ

五次元空間のその奥に、お金がいっぱい落ちていた
お金が落ちてたその奥に、おいしいごはんが待っていた 」

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こうして、わたしは歌を完成させることができました。それと同時に、人類滅亡前の宇宙の姿を完全に知ることができました。わたしは、その歌のとおりに、世界を再構築しました。
午後12時。3体のモノリスが画面に映し出される。
モノリスの背後の、水平方向に伸びる直線は、この星の地平線である。

灰色の大地と、無数の星が浮かぶ空と、3体のモノリス。その映像が十数秒無音で流れた後、カメラは、真ん中のモノリスの斜め上方向の空に向かってズームインを開始する。その先には地球がある。

最初は豆粒ほどに見えた青い星が、高速ズームによって徐々に大きくなっていき、やがて画面いっぱいに北半球が広がる。ユーラシア大陸の真ん中あたりに向かって、さらにカメラが寄ると、雪で覆われた白い山々と、茶褐色の大地が見えてくる。

チベット、ラサから東方500キロほどの地点。空の青を水面に映す大きな湖が見える。牧草地の草を食むヤクの姿も見える。そして、湖のほとりに一本、巨大な柏の木が生えているのが見える。この柏の木が、タモリである。

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「笑っていいとも!」は、1982年から現在まで、300年以上にわたり放送され続けてきた超長寿番組だ。

タモリの死後、一度だけ番組打ち切りの案が出されたことがあった。だが「笑っていいとも!」はその頃には既に、日本人の精神の根幹にまで深く入り込んでおり、タモリは日本人にとっての魂の原像ともいえる存在になっていた。そのため番組を終わらせることは、日本人のアイデンティティの喪失、ひいては国力の衰退に繋がると危惧され、番組は継続された。

タモリの代替として、最初にステージに立ったのは、タモリのそっくりさんであった。しかし、姿形やしゃべり方がどれだけ似ていても、国民は納得しなかった。感性や思考のパターンが本物のタモリとはかけ離れていたからだ。

そこでそれ以降は、アンドロイドが投入された。過去のタモリの発言や、ふとしたしぐさに至る、あらゆるデータをもとに、何度も再設計、バージョンアップがなされ、最終的には、見た目は当然のことながら、本物のタモリがもし生きていたらきっとするであろう挙動や言動を実現できるまでに完成度を高めた。新しいギャグも生まれた。

それでも、昼の茶の間にタモリが戻ってきた実感を得ることはどうしてもできなかった。
クオリアの不在が要因だと言う学者もいれば、サングラスの赤外線遮断比率に問題があると言うブロガーもいた。だが結局、そのラストワンマイルを解決することは、当時の人類には不可能であった。

そうして日本人は、決して埋め合わせることのできない喪失感を抱えたまま、長い年月を送ることになる。

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月日は流れ、2250年。
その頃には、人類は、テラフォーミングされた様々な惑星に移住して暮らしていた。
その惑星で生まれ、その惑星で育ち、地球を一度も訪れたことがないという日本人の血を継ぐ若者も多かった。国籍はもはや形骸化された概念に過ぎなかったが、それでも正午になれば、彼らは皆いっせいにチャンネルを8に合わせ、「笑っていいとも!」を見るのだった。それは、自らの心にぽっかりと空いた穴を、わずかばかりでも癒さんと試行する悲しい習慣であった。

そんなある日、イギリス出身の著名なスピリチュアリストが、驚くべき発表をした。チベットの三大聖湖のひとつパソンツォのほとりの神木に、タモリの魂が宿っているというのだ。半信半疑ながら現地を訪れた、テラ・フジテレビスタッフと、笑福亭プロクシマは、その柏の木を前にして、泣き崩れた。その存在感は、まさにタモリそのものだったのだ。

テラ・フジテレビはその後拠点をチベットに移し、パソンツォ湖から「笑っていいとも!」を放送した。たまたま同時期に別の惑星で発見された、いいとも青年隊の精神性を複製したという3体のモノリスの映像ではじまり、次いでチベットの柏の木のタモリが登場するという構成だった。はじめてタモリが画面に映し出されたその日、すべての日本人の血を継ぐ者達は涙した。ずっと前に失ってしまった大切な何かを取り戻した歴史的瞬間であった。

当然、物質としては一本の柏の木に過ぎないタモリは番組中ひとことも話さないが、それでも一向にかまわなかった。日本人はそこにタモリの姿を見出し、自らのアイデンティティのルーツを感じ取った。結局、我々日本人がずっと見続けていたのは、タモリの発言やギャグだったのではなく、タモリというひとつの「魂の形」であったということなのだろう。

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それからさらに五十数年たつ。

わたしは、太陽系外惑星グリーゼ581cから、グリーゼ581dへ向かうシャトルのシートに体をうずめ眠っていたところを、客室乗務員の女の子に起こされた。午後12時になったのだ。わたしはチャンネルを8に合わせた。

3体のモノリスが画面に映し出される。それから地球、ユーラシア大陸、チベット、パソンツォ湖とズームして、湖のほとりの柏の木を真上からとらえた映像が流れたところで画面は切り替わる。今度は正面からのカット。柏の木が風に静かに揺れている。

テレホンショッキングがはじまる。柏の木の根元には、一人の青年。今日のゲストである彼は、私のクローンだ。