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■ 5月27日 くもり

八百屋とキツツキは仲間なんじゃないだろうか、と、ふと思う。
八百屋とキツツキは全然関係ないように見えるが、どちらも、「逆から読んでも同じ」という点で同じで、だから、仲間なんじゃないだろうか。八百屋とキツツキはグルの可能性がある。
だから、キツツキは木に穴をあけるけれど、それは、次のような手順で、僕をハメようとしているからなのかもしれない。

1.キツツキが木に穴をあける → 2.八百屋が穴の中に野菜を隠す → 3.僕が野菜を盗みに穴の中に入る → 4.八百屋がトマト(または新聞紙を丸めたもの)を栓にして穴を閉じる → 5.僕 出られない

僕は、そのような手口に騙されないよう、今後十分注意を払って生きていく必要があるだろう。

ところで、八百屋とキツツキ、先に「逆から読んでも同じ」になったのは、どっちの方なんだろう。
どっちかが先に、「逆から読んでも同じ」になって、もう片方をそそのかしたからこそ、もう片方のほうも「逆から読んでも同じ」になったのに違いないのだが。

■ 5月28日 雨

「小猫」と「印」はどっちも「逆から読んでも同じ」だと気付く。

■ 5月29日 雨

三上と石井について考える。
どっちも「逆から呼んでも同じ」という点では同じなので、元々は、同じチームでプレーしてた可能性が高い。ただし、同じチームで一体何をプレーしてたのかまでは、分からない。
それについての解説が新聞紙に書いていないか確認してみるが書いてなかった。


手を洗う場所が、もし世界に一か所しかなかったら…

もしそうだったら、みんながそこに手を洗いに集まって来ます。
全ての人間と、全てのアライグマが、その場所に来て手を洗います。

地球外に生命体が存在するのかしないのかは分からないけど、
もし、宇宙のどこかにいたとして、
かつ、それがもし手を洗うタイプの生命体であった場合には、
その生命体も来て、手を洗います。

世界に一か所しかない手を洗う場所に、全ての人間と、全てのアライグマと、
全ての手を洗うタイプの宇宙の生命体がやって来ます。

もしそうなったら、そこには長ーい長ーい、順番待ちの行列ができます。
野を、山を越えどこまでも続く、長ーーーい行列ができます。

そして、もしそうなったら私は…

私は、行列に並ぶ人たちにお弁当やお菓子、ビールに雑誌、雑煮などを売ってまわる、
売り子のアルバイトをしなければなりません。

私はそのアルバイトをやりたくないけど、でも、やらなければなりません。
なぜなら、それは 「義務」 だからです。 

ああ 嫌だ。
嫌だ 嫌だ やりたくない やりたくない。

最近はブログもあまり更新してなかったし、twitterも全然やってなかったのですが、何をしてたのかというと、ずっと球体について考えていました。

なんでみんな、球体から飛び出してくるのか?

アニメとか観てると、だいたいみんな、球体から飛び出してきますよね。
エヴァンゲリオンだと、レリエルとかいう球状の使徒に取り込まれた初号機が内側から球体を突き破って出てきたし、エウレカセブンでは、エウレカとレントンが赤い球体の中から出てきました。いちばん最近観たやつだと NARUTO とかでも、地爆天星で閉じ込められたナルトが球体の中から出てきました。

ドラマとかは全然観ないのでよく知らないですが、きっと同じですよね。
小栗旬さんとか、堀北真希さんとかが、球体を内部から突き破って登場するシーンがきっとあるのでしょう。

ワールドカップもあんまり観てないので詳しくは知らないですが、これもきっと同じですよね。
試合の途中で、テベスとかリベリとかが、球体を内側から真っ二つに切り裂いて突如現れて、そのままピッチを駆け回ったりするのでしょう。それがサッカーというスポーツなのでしょう。

そういうのを見ていて、なんで球体から飛び出してくるのか、その理由は分からないけれど、ともかく飛び出ることが重要なのだということだけは、なんとなく分かってきました。要するに、飛び出てナンボなんだと。

なので、今後は僕も、バンバン球体から飛び出していこう、と思ったのですが、そう思った次の瞬間に、球体から飛び出すためには、まず、球体に取り込まれる必要があるということに気付いてしまい絶望しました。
 
いったいどうすれば、球体に取り込まれることができるのでしょうか。
普通に会社勤めをして、家族といっしょの家に住んで、みたいな生活をしてる限りは、なかなか球体に取り込まれる機会には巡り合えないような気がしています。
どういう経緯でそうなったのか忘れてしまったけど、会社の飲み会のときに、「 一夫多妻制 」 に関して話題が及んだ。日本もいずれ一夫多妻制にならないだろうか、とか、そうなる為には男が複数の女を養えるような経済状況が不可欠だ、とかそんなことを誰かが述べ、そのうち石油王がどうしたとか、アラブがどうのとか、ウガンダでのNPO活動だとか、あらぬ方向に話題は逸れていった。でも私はそれからもずっと考えていた。一夫多妻制について。

「 一夫多妻制 」 という言葉を聞いて、私がまずはじめに連想したのは 「 ぶっかけうどん 」 であった。
私は 「 ぶっかけうどん 」 における、「 ぶっかける 」 側と、「 ぶっかけられる 」 側の関係性について、飲み会を終えて家に帰っても、ずっと考え続けた。

「 ぶっかけうどん 」 における 「 ぶっかける 」 側に立っているのは何者かというと、それは当然、「 うどん屋 」 である。 では 「 ぶっかけられる 」 側に立つのは誰かというと、まず、「 うどん 」 が該当するだろう。
「 ダシ 」 はどうだろう。「 ダシ 」 は一見 「 ぶっかける 」 側に属すような錯覚を覚えるが、「 ダシ 」 とて 「 うどん屋 」 の手によって 「 うどん 」 に 「 ぶっかけられてる 」 に過ぎない。「 ダシ 」 も 「 うどん 」 と同様に 「 ぶっかけられる 」 側の者だ。

それなら 「 私自身 」 はどうかというと、実はこれも 「 ぶっかけられる 」 側の者だ。「 ぶっかけられし者 」 と言い換えても良い。もちろん実質的にダシをぶっかけられているのは 「 うどん 」 だが、その 「 うどん 」 は、私がお金を払って買った、わたしの所有物である。であるから、そのわたしの所有物であるところの 「 うどん 」 に 「 ダシ 」 を 「 ぶっかけられてる 」 ということは、間接的に 「 私自身 」 が 「 ぶっかけられてる 」 のと変わらないのである。

さらに言うと、人間のなかで 「 ぶっかけられてる 」 人間は、「 私 」 だけではない。「 私 」 以外の多くの人、厳密に言えば、「 うどん屋 」 以外のあらゆる人民が 「 ぶっかけられてる 」 のだといえる。図に表すとこうなる。



この関係性は、きわめて一夫多妻的であるといえる。

白い麺の盛られた和陶の器の底には、”嘘”が隠されていた。
いや、この”嘘”を隠蔽するために、うどんは盛られたのかもしれない。
なんにせよ、「 ぶっかけうどん 」 の構造は、きわめて一夫多妻的であると確かに言える。この許されざる”嘘”を暴き、白昼の元にさらす責務が、私にはあると感じた。それが夜中の二時のことだった。

だがそれからなおも私は考えた。
私は 「 ぶっかけうどん 」 に隠された不正を糾弾し、しかる後、一体どうしたいのだろうか、と。
最終目的は何?
人や物事の短所や欠点を見つけ出し批判することは誰にだってできる。だが、大切なのは批判そのものではなく、そこからどう行動し、何を生み出せるかだ。

「 ぶっかけうどん 」 の構造が一夫多妻的であることを暴き、その後世界をどう再構築するのか。
「 ぶっかける 」 側と 「 ぶっかけられる 」 側の立場を逆転させ、「 うどん屋 」 に 「 私 」 が 「 ダシ 」をぶっかけたいのか?( ※ 図2を参照 )
それとも 1対n の関係性を改めさせ、「 うどん屋 」 が 「 私 」 に、この 「 私 」 だけに 「 ダシ 」 をぶっかけてくれるような、1対1 の関係、すなわち一夫一婦制の採用を迫りたいのか?( ※ 図3を参照 )


<図2>


<図3>

そうやって突き詰めて考えていくと、自分が心の奥底では、今の関係のままでいたいという願望を持っていることが分かった。
「 ぶっかける 」 側と 「 ぶっかけられる 」 側の立場の逆転も、「 ぶっかける 」 側と 「 ぶっかけられる 」 側の 1対1 の関係も望んでなんかいない。
そんなことをしても無意味だ。そんなことをしたら、「 ぶっかけうどん 」 は 「 ぶっかけうどん 」 でも何でも無くなってしまう。 カーテンの隙間からのぞく白み始めた空を見ながら私はそう思った。

そうだ、私は、心の本当の部分では一夫多妻制を望んでいるのだ。
その他大勢の妻と等分に分け合って何分の一だか、何十分の一だかに分割された夫からの愛情を、それでもなお、欲しているのである。あたしはそんな、馬鹿な女なんだ。

や、違う。わたしは男である。みたいなことを考えていたら出社時刻に。
グチョグチョライフ を更新しました
グチョグチョライフ を更新しました!
グチョグチョライフ を久しぶりに更新したよ!

ミサワが赤塚賞 準入選。すごい!


キッズ向けカードゲームでは「ムシキング」とか「ラブandベリー」がすごく流行りましたが、今は「マリンマリン」なんてのもあるようです。

熱帯魚のカードを使って新しい海の友達を探すことが目的だそうです。カブトムシやクワガタのカードを使ってバトルするという好戦的な内容のムシキングとは対照的な、ゆるーい内容ですね。子供達の間で厭戦思想が広まっているのでしょうか。やっぱ、No War ですよね。

ただ僕自身は、熱帯魚のカードにも、カブトムシのカードにもあまりそそられません。
たとえば、いろんな石のカードが手に入る石キング、とか、いろんな城のカードが手に入るキャッスルキャッスル、とかだったらやってみたい。いろんな抽象的なヴィジョンのカードが手に入るアブストラクトアブストラクト、とか。

SEGAが、「キッズ」の定義を35才くらいまでに広げて、そういうカードゲームを出してくれるのを待ってます。